宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

鏡の底を越えて

宮川淳の著作を読んでいて気付くことのひとつは、いたるところに<鏡>が出現することである。『鏡・空間・イマージュ』以外にも、「ジャック・デリダと鏡の暴力」があり、ミシュル・フーコー論である「鏡の場所」がある。それは、鏡においてこそ、「イマージュのそれ自体への回帰」と宮川淳がいう現代美術の根底にあるものが見えてくるということであろう。実在の表象や、事実の世界への回帰が否定され、イマージュそれ自体の存在が浮かび上がってくるのは、単に美術の領域だけのことではない。宮川淳はすでに早くからこのことを感知していたが、<鏡>のイマージュへの偏執にはそれ以上の意味が含まれているように思われる。
それはひとつにはイマージュの平面性ということ、イマージュにはいかなる深さもないということであり、もうひとつは鏡のイマージュがイマージュを同一性・反復・差異の位相で存在させているということである。宮川淳が「イマージュのそれ自体への回帰」と呼んでいるのは、イマージュそれ自体にはいかなる裏側もなく、どんな深層もないということである。イマージュはひとつの表面にすぎない。こうした表面としてのイマージュが最も特権的に出現するのが鏡であって、この<鏡の場所>こそ、イマージュが同一のものとして反復され、しかもそこに差異を発生させる場所である。
宮川淳は、それ自体がイマージュと化してしまった事実が、「この見えない巨大な鏡、すべてを映し出すかに見えるその明るい表面を通って、鏡の底へ降りてゆく」と書いている。このなかに、宮川淳が鏡について考えていたことの大半が含まれているように思われる。鏡はイマージュを映す場であるが、それ自体は不可視であり、ただ「すべてを映し出すかに見えるその明るい表面」を持っているものとしてのみ示されている。イマージュと化した事物、或いはイマージュとしてのイマージュは、この不可視の鏡に映ることによって、いわば表面として存在することができるようになる。イマージュの表面性・表層性が鏡を媒体にすることによって一挙に明白になる。
しかし、そのときに、「鏡の底に降りてゆく」とはどういうことなのか。鏡は表面であり、いかなる厚みも持たないはずなのに、鏡の底というのがありうるのだろうか。私はこのとき、宮川淳がわれわれに提示した、巨大で不可視な鏡のイマージュを、私自身がかつて見た或る夢のイマージュと結び付けないわけにはいかない。夢のなかで私は、巨大な火口のなかへ降りて行った。それはすでに活動を停止した火山の火口であって、私が現実世界で見たいくつかの火口に酷似していた。ただ、火口の底をめざして急な斜面を降りていくのは、夢のなかでもたいへんつらいことであった。しかし私はどうにかしてとうとうその火口の底にたどり着いた。ところがその瞬間に、その底は抜けてしまい、私はいまにも底のない空間へと落下して行くのではないかという恐怖におそわれた。しかし私は大きな火口の裏側へと移行していたのであって、そこはそびえ立つ高い山の頂上だった。
宮川淳は、「ジャック・デリダと鏡の暴力」のなかで、デリダが論じたのがマラルメとソレルス、「いいかえれば鏡の魅惑の中にいる作家たち」だと書いている。鏡の魅惑とは、鏡がイマージュの生産の場所だということにほかならない。
そしてわれわれは、鏡のなかのイマージュが何であるかを問い直すべきであろう。「同の中での自己同一性と非・自己同一性との自己同一性」というデリダのことばを、宮川淳はそれは「構造的にまさしく鏡だ」と解釈する。「差異を生み出す作用の回路の上にはじめて鏡は出現する」と宮川淳は書いているが、鏡の場所においてこそ、イマージュは自己同一性と非・自己同一性とを同一のものとして存在させることができ、その反復のなかで差異を生産する作用の回路が成立する。ここでの宮川淳は、限りなくジル・ドゥルーズに接近しているように見える。宮川淳における鏡への偏執の意味は、ここでは語り尽せないほどに深い。われわれは、くり返して宮川淳のいう<鏡の底>へ降りて行き、そこを突き抜ける作業を続けなくてはならない。

(付記。本稿は1990年に、そのころ原宿にあった東高美術館での「荒川修作・宮川淳展」のカタログに寄稿したものである。発表当時の原文のままである。最近、荒川修作に関心を持つ方と話していて、このエッセイのことを想起し、ようやく「発掘」したものであるが、再び埋没するおそれがあるので、このブログにアップしておくことにした。2009年4月2日)

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偉大なる宮川淳

宮川淳といっても、今の若い人達はほとんど知らないでしょうね。
私は大学時代に宮川淳に熱中して読んでおりましたが、亡くなった今でも日本を代表する美術評論家であることに変わりはありません。
先日、宇波先生のお話しに出てきた世界的建築家の磯崎新もその設計手法に宮川淳の影響を多大に受けているそうです。
宮川淳は美術評論家の枠を飛び出して、思想家でもありましたし、言葉を用いた芸術家でもあったと私は思います…。

木田原 形而 | URL | 2009年04月08日(Wed)20:36 [EDIT]