宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

釜無川を越えて

去る4月の下旬に、山梨県の韮崎へ出かけた。いうまでもなく、都市基本問題研究会の調査のためであるが、相変わらず研究会員になりたいという人がいないので(100万円という入会金が高すぎるらしい)、ひとりで出かけた。あちこちの都市をまわって感じるのは、鉄道の駅がひとつの都市にとって非常に大きな意味を持っているのではないかということである。中央線の韮崎駅に降りると、駅前の広場のようなところに、サッカーボールのような置物が並んでいる。韮崎は「サッカーの町」であるらしい。
しかし町のメインストリートは、駅とは反対側のところにある。私が泊まろうとしたホテル(実際は泊まらなかった)も、ここの出身者である小林一三の記念館も、駅の反対側にある。駅があって、そこから町が拡がっているという既存の尺度では韮崎の町は歩くことはできない。
私が韮崎を訪れようとしたのは、そこに大村美術館という小さな美術館があることを知っていたからでもある。そこには鈴木信太郎の作品と、上村松園、三岸節子など、日本の代表的な女性画家の作品も展示されていると聞いていた。駅のなかの観光案内所で行き方を尋ねると、5分後にバスが出るという。それは小渕沢行のバスで、一日に数本しかない。
バスは釜無川を渡って行ったが、なかなか眺めのいいところである。美術館は高台にあり、その二階には展望室もあって釜無川のいわゆるvalleyの眺望はすばらしかった。美術館には三岸節子のとてもいい作品があり、また私の故郷の浜松出身の画家である秋野不矩の作品もあった。
しかし帰りのバスが当分来ないことがわかったので、駅まで歩いて帰ることにした。美術館でもらったパンフレットには、駅まで2.8kmと書いてある。歩いて行ける距離である。釜無川が意外にも急流であることを知った。
帰りに小林一三記念館に寄ったが、閉館だった。また町のなかの喫茶店がいくつも閉店になっていた。このあたりは武田信玄と関係の深い土地であり、最近の私は戦国時代のことに次第に関心を持ち始めているので、そのあたりを歩くのは非常に楽しいことであった。私は釜無川にかかる橋から川の流れを見ていたが、川原には丸い石が転がっていた。
かつて私は中沢厚の『石に宿るもの』(平凡社)で、山梨県に多くの丸石神があり、新聞社で働く友人と二人で笛吹川の上流にある丸石神を訪ねて歩いたことがある。それから学生たちと丸石神研究会を作って、新潟県の三面川の上流や、静岡県の藤枝あたりにある丸石神を探しに合宿研究をしたこともある。笛吹川上流にある丸石は本当に丸い石だったが、地元の人に聞くと川原から持ってきたものだという。それほど完全に丸くはないが、それでも角が無い丸い石が釜無川の川原にも転がっていたのである。
帰ってからオルミの「ポー川のひかり」というイタリア映画を試写会で観た。会場で、かつて丸石研究会のメンバーだった新聞社の人と再会した。

(2009年5月16日)

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コメント


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うわ、ご一緒させていただきたかったですね。百万円は35年ローン級ですね(笑)。

はら | URL | 2009年05月19日(Tue)21:20 [EDIT]