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宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

寺山修司と逃走線―『レミング』再考

 寺山修司(1935-1983)率いる天井桟敷の演劇活動において最後の公演となったのは、1983年5月、大阪八尾、西武ホールにて上演された『レミング―壁抜け男』である。1979年、晴海東京国際貿易センターで初演された『レミング―世界の涯まで連れてって』の改訂版であった。最終公演だったから、というわけではないが、今から振り返ると、やはり「集大成」といった感じを受ける。作品としての代表作は『奴婢訓』であろうが、この劇には、寺山の演劇活動、ひいては自身の全創作活動の要諦がメッセージとして込められているようにみえるからである。
 1970年代後半、寺山は、山口昌男、三浦雅士との出会いがあったからでもあろう、現代思想、とりわけフランス現代思想に傾倒していた。中でもフーコーを読んでいたことはよく知られているが、本稿でとりあげたいのは、ドゥルーズ=ガタリに対する寺山の態度である。1970年代におけるドゥルーズ=ガタリの邦訳といえば、豊崎光一訳『リゾーム』(1977年)、宇波彰訳『カフカ―マイナー文学のために』(1978年)のみであるが、二人の訳者はともに、寺山が出版していた『地下演劇』に寄稿、ないしは対談を行っており、寺山とつながりを持っていたことが確認される。とりわけ宇波彰との対談は、文字どおり、ドゥルーズ=ガタリについてであったし、『カフカ―マイナー文学のために』については、読売新聞において匿名で書評をしている(1978年9月10日朝刊)ことから、参照できる文献は少ないものの、寺山がかなり好意的にドゥルーズ=ガタリを受容したのではないかということが推測される。
 そもそも、ドゥルーズ=ガタリの思想を象徴する語で広くいきわたっている概念のひとつに「ノマドロジー」、「ノマド」があるが、寺山の演劇活動は、既成の劇場を飛び出し、固有の演劇空間を定めず、そのつど新たな演劇空間を創出していくというものであり、まさしく遊牧民的、ノマド的だったといえるだろう。それゆえ、寺山が、それを、数少ない文献から直観的に、自身の活動を説明してくれる思想だと考えたとしてもおかしくはないのだが、本稿では、より具体的に、『レミング―世界の涯まで連れてって』とその改訂版『レミング―壁抜け男』という作品に沿って、ドゥルーズ=ガタリ受容の痕跡を探りたい。
 『レミング』は、とりあえず「壁」のドラマだということができる。
 舞台は、都市の片隅の一角、たとえば品川区五反田駅前。劇は、中国料理の見習いコック王(改訂版はコック1,2)が住むアパートの一室で突然壁が消失し、隣室が丸見えになるところから始まる。隣室が丸見えになって自己同一性を揺るがされた王(コック1,2)は、当初は揺るがされた同一性を確保しようとして、自ら壁を招きよせて市民生活を維持しようとするものの、様々な来訪者を受けるうちに、いつの間にかこの部屋が、遊戯療法を行っている精神病院や、監獄などに変貌し、否応なく他者に巻き込まれてゆく…。
 扇田昭彦は、初演時に「寺山修司がこの新作劇のなかで批判的に描いたのも、現代の私たちに深く浸みこんでいる個への信仰、それを体現する個室=壁への信仰である。むろん、神なき劇詩人である寺山修司の場合、個的な壁をとりはらった彼方に見えてくるのは、世界に秩序をもたらす「神」ではなく、あらゆるものが混交する劇的な無秩序と偶然の世界だ」(『美術手帖』1979年7月号)と書いているが、観客が「舞台」だとみなす空間で演じられているのは、まさしくこうした世界であったといえる。
 一方、扇田は、客席後方の作業用の台から劇を見たために、黒いネズミのような男女の群れや、壁抜けを繰り返す小人の劇など「観客席の真中にいては見えない多くのドラマがそこここで同時多発的に展開していた」のを目撃し、「この劇は、本舞台だけに閉じこもろうとする観客の意識そのものが『壁』であること、個我意識の壁の外にはさらに多様な劇が渦巻いていることを、劇構造として巧みに示していたのである」(『美術手帖』)と記し、この劇が、登場人物の内面の壁だけでなく、観客の内面の壁を問題にしていることを指摘していた。『レミング』がとりあえず壁のドラマだというのは以上のような意味である。
 実際、寺山自身も、「「レミング」の主題は、ひとことで言えば、壁の消失によってあばかれる内面の神話の虚構性の検証である」と書き、壁は「資本主義の作り出した亡霊」であるという三浦雅士の文章を引き合いに出して、内面の壁を問題化し、同時に「観客席という内面を発生する装置」を問題化していたことを思えば、とりあえず、扇田の劇評は、『レミング』をよく解説しているといってよいし、「観客の受け取った印象をほぼ代弁している」だろう。
 しかし、本稿で問題にしたいのは、寺山が、「今回の劇は、「壁」というのではなく、『レミング』というタイトルなんです。レミングというのは、集団自殺するために出てゆく旅鼠なんだけど―その鼠と壁とをつきあわせる「台」(ターブル)、すなわち舞台がいま問題だと思う」(『地下演劇14』)と言っていることである。
 どういうことだろうか。そもそも、寺山の言う「レミング」とは一体何だろうか。
 寺山は「歴史的には「天変地異が起きたとき、その一年前には、かならず打物を片手に道を踊り歩く人々の姿が見られた」(ええじゃないか)ことは、壁を抜けて集団自殺に向かう旅ネズミ(レミング)との類似性において論じられてきた。壁とその消失、そして方向を失った大家の群れを描こうというのが、この作品のねらいだったとも言える」(『寺山修司戯曲集3』)と書いている。ここからわかるのは、壁の消失によって次々に他人の夢に巻き込まれてゆく王(コック1,2)が、いわば「レミング」ないしは「レミング予備軍」として描かれていたということである。
 もちろん、「レミング」は壁を抜けつつも、最終的には集団自殺してしまうネガティヴなイメージをもつものだし、ファシズムのにおいすらするものである。しかし、寺山が「鼠が集団で突然、狂走する、というのは「ええじゃないか」や「お蔭まいり」などの一種の集団舞踏、つまり踊狂に換喩できると思うわけです。人間の内面化が、あるぎりぎりのところで、裏側から皮膚をしめつけ、せり上り、揺れはじめて踊り出す。何かが内側からバリバリと皮膚を破ってあふれ出す。壁破りだと考えていた」(『地下演劇14』)と発言しているように、「レミング」とは、壁にせき止められた生を開放するものでもある。そこで、寺山はこれに積極的な意味を授けた。隣室の兄妹の妹(改訂版は隣室の夫婦の妻)と母が密約を結んでできた合言葉「とび出すネズミがたった一匹!」と「レミング」を抱きわせることによって。「レミング」ないしは「レミング予備軍」である王(コック1,2)は、この合言葉によってレミングすれすれの場から逃れ、生き延びるのである。
 つまり、「レミング」とは、結論を先取りすれば、ドゥルーズ=ガタリの「逃走線」、「国家装置」から逃れる逃走線である。浅田彰の『構造と力-記号論を超えて』が出たのは1983年秋、『逃走論-スキゾ・キッズの冒険』が出たのは翌1984年、いずれも寺山の死後であり、寺山自身は、ニューアカデミズムブームを知らなかったが、1979年の初演、1982年、1983年の再演を通して、寺山が追求していたのが、この「逃走線」という概念であった。すでに1975年、『疫病流行記』において、寺山は、父の死を意味するセレベス島というトラウマティックな固有名を隠し持つ反復強迫の空間で発生するネズミの群れに「レミング」という言葉を用い、そこから死と背中合わせの逃走を図ってかろうじて生き残る男というビジョンを造形し、神経症圏から分裂症圏への脱出、いわば反オイディプス的逃走を企図していたが、『レミング』では、それを再度問題化し、概念として練り直しているのである。
 注意したいのは、「とび出すネズミがたった一匹」という合言葉が、レミングを否定して逃走する、という意味ではないことである。逃走は、むしろ『疫病流行記』同様、レミングと不即不離であり、この言葉は、いわば、自らレミングとなって死へと無へと突き動かされるも、(「分裂的エロス」によって)わずかに偏倚し、「創造的逃走線」を構成する、といった意味だということである。「動物への生成変化」といってもよいだろう。もっとも『カフカ―マイナー文学のために』を読んでいた寺山は、『変身』において引かれた家族の三角形からの逃走線、つまりグレゴールの毒虫への変身(動物への生成変化)が、最終的にグレゴール=毒虫が死ぬことによって、新たに妹を核とした再オイディプス化を帰結し、家族の三角形が閉じられることの危険をつよく意識してもいた(『闘技場のパロール』)。そもそも、逃走線は、常に破滅の線と隣り合わせである。それゆえ、それを横目で見ながら反動的に「壁」を招き寄せる危険とも常に背中合わせなのだ。寺山がその邦訳を目にすることはなかった『千のプラトー―資本主義と分裂症』において、ドゥルーズ=ガタリは書いている。「創造する逃走線か、それとも破壊線に転化する逃走線か。たとえ少しずつでも構成されていく存立平面か、それとも組織と支配の平面に転化してしまう存立平面か」。こうしたドゥルーズ=ガタリのビジョンと連動するような、「レミング」と不即不離の逃走線のイメージを提出しているところに、寺山の慧眼があるといってよいだろう。
 実際、寺山は、改訂版『レミング―壁抜け男』の中で、レミングのこうした三つの帰結をきちんと書き込んでいる。
 一つ目は、破壊線へと転化してしまったもの。「そういえば昨日の夕方も品川駅で、死んだネズミの一杯入った箱を運ぶ駅員を見た。ネズミは、壁沿いに一列に並んで死んでいたそうだ。収容所の恐怖は、何も第二次世界大戦のときばかりじゃないんだ、と駅員さんが言っていた。太陽の黒点が大きくなると、ネズミたちはアパートを出てどこかへ向かって歩き始める。集団蒸発…それがレミングだ。」
 二つ目は、レミングを回避して生き延びたものの、反動的に壁をつくってそこに立てこもるコック1。「近寄るな!」「そこから近づかないでくれ。」「壁が…おまえ、その壁が見えないのか?」コック2に「おまえも、自分の壁を作ってしまったのか。…中略…箱の大きさ分だけに、気苦労や悩みを区切って、その中でひっそりと隠れて暮らそうなんてそう安直にはいかないんだ!」と言われながらも「どこへ行ったって壁はあるぞ」とつぶやく。
 そして三つ目はレミングを生命線へと変容させようとする「壁抜け男」のコック2。「壁をですね。壁を…。」「スーッと…何の抵抗もなく抜けたんです。」「おれは壁抜け男だ。どこへでもズカズカ入っていってやる。」「壁がない俺には、ここから出てゆくことも、ここに残ることも結局は同じことだ。(客に向かって)だけどあんた方は違うんだよな。壁なしじゃやっていけないあんた方は、ここから出たつもりでも結局は又、別の壁に入っていくだけのことだ。…中略…壁なんてのはあんたの心の中にあるんだよ。」コック2の逃走線とて、いつなんどき破壊線へと転化するかもしれないし、コック1はコック2の分身的要素が強いのも事実なのだが、寺山の思想は、とりあえず、コック2に託される。
つまり、寺山にとって内面の壁とは、レミングを回避して自ら壁を招き寄せて形成する国家装置であり、いわばレミングの遮蔽幕とでもいうべきものであり、それゆえ、内面の壁の批判は、壁に閉じ込められた生を危うくも開放する、レミングすれすれの創造的逃走線の形成を示唆することでなされるべきものだったのである。
 ただ、寺山はコック2にその思想を託したといっても、創造的逃走線がいかなるものかは、プロセニアム・アーチの内部で上演される劇の中では語っていない。その答えは、コック2のセリフやアジテーションによって観客の想像力に委ねただけのようにも見える。しかし、寺山は劇の中でも、半分答えを用意していた、と私は思う。というのも、プロセニアム・アーチの内外で上演される『レミング』のスペクタクルは、「イメージの狩人」寺山が、古今東西の書物や絵画から様々なイメージを狩り出してきた引用の織物だったが、それは、「引用」は「逃走」であると言わんばかりに、「驚くほど人の所有欲を免れて、ここで新たに生命を賦与されて劇を生成し、そして消滅していく」ものであり、いわば、「レミングすれすれの危険に晒されたイメージや音が、鮮やかな生成変化を遂げながら、今ここを肯定する晴れやかなスペクタクルを構成しては崩れ落ちていく」(拙著『孤児への意志―寺山修司論』)ものだったからである。それは、スペクタクルといっても、ハリウッド型スペクタクルとは対極にある、マイナーで、見た者を新たに言語の組み換えへといざなうスペクタクルであり、まさに「創造的逃走線」を体現するものだったといえる。
 このように、『レミング』、とりわけ改訂版『レミング―壁抜け男』は、ドゥルーズ=ガタリの「逃走線」という概念の、受容の痕跡が残る作品である。とはいえそれは、彼らの思想の「応用」というわけではない。なによりそれは、寺山が『疫病流行記』において展開したビジョンの概念的練り上げからなるものであったし、また、「家出のすすめ」で「家」からの脱出を若者に呼びかけ、作品制作においては、俳句、短歌、詩、演劇、映画、批評、童話、作詞などさまざまなジャンルを次々に横断し、演劇については、「既成の劇場を飛び出し、固有の演劇空間を定めず、そのつど新たな演劇空間を創出していく」といったように、暗黙裡に人々を区画するさまざまな「壁」をすりぬけ、まさしく創造的逃走線を生きてきた、自身の全活動の理論的総括を意味するものでもあったのである。『レミング―壁抜け男』が「集大成」である、というのはそういう意味であり、三十五年以上の時を経て、グローバリズムの下、別な形で個と社会の分断がすすむ今、同じ主題を具体的他者との応答の中に探った「市街劇」とともに、新たな理論的読解を誘ってやまない。
 

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目の呪縛からの解放:池田龍雄の絵画について

 京王線仙川駅近くにある東京アートミュージアム (TAM)という小さな美術館で4月6日から6月30日まで、「池田龍雄展―場の位相」が開催されていた。展示されていた作品はオーナー所蔵のものだけで多くはなかったが、ドキュメンタリー映画監督の孝壽聡が制作した「The Painter」と「華開世界起」という映画のビデオが上映されていた。時間の都合で前者の作品しか見られなかったが、このビデオは大変興味深いものであった。
 池田龍雄の絵は昨年の4月から6月まで練馬区立美術館で行われた「戦後美術の現在形:池田龍雄展-楕円幻想」というタイトルの展覧会ですでに見ていたが、そのときは彼の絵画について十分に検討することができなかった。今回は上記した池田の作品制作過程を映像化した「The Painter」を見ることもでき、彼の絵画に関して何らかの考察ができると思い、このテクストを書き始めた。
 「The Painter」の中にはアメリカ軍空母に体当たりする特攻機の記録映像が挿入されている。1928年に現在の佐賀県伊万里市で生まれ、16歳のときに特攻隊員となった池田の過去を示すための挿入である。終戦後、彼は徹底的に戦争反対を訴えるようになる。彼の反戦的主張はその後も変わることはないが、池田の絵画スタイルとテーマは時間と共に大きく変わっていった。彼の絵画スタイルとテーマは、「揺籃期」、「ルポルタージュ絵画期」、「目による呪縛期」、「目からの解放期」というように四つに区分できると私には思われる。第二期と第三期は重なるのではないかという反論や、第三期と第四期との境界を厳密に設定できるのかという批判が出るかもしれないが、この区分は池田の作品を年代的視点から見た区分というよりも、彼の絵画スタイルとテーマとを分類するという探究視点に基づいた区分であり、この分類によって池田の絵画変遷を十分に分析できると思われる。
 最初の「揺籃期」は池田の画家人生の中で習作と呼んでよい絵が描かれた時期である。第二期の「ルポルタージュ絵画期」の作品には戦争の直接的経験と現実の不条理さへの憤怒の感情が大きく反映している。私の意見では、第三期の特徴は目の持つ強烈な語りである。この時期は異常な身体を持つ化け物じみた生物たちを描いた作品が登場する時期であるが、その異様さの中でも、特に目は注視しなければならない強いメッセージ性が込められているように私には感じられる。第四期は目という特異な対象が次第に消えていき、新たな創造世界を構築するように制作方向が転換した時期である。ここではこの四つの時期を追いながら池田龍雄の絵画作品の展開について検討していくが、先ずは画家としての創作の基盤ができた彼が画家になる以前の体験も含めた「揺籃期」について次のセクションで考察することとする。 

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木村荘八の素描画と「歌妓支度」

 さいたま市のうらわ美術館で、4月20日から6月23日まで、「素描礼讃 岸田劉生と木村荘八」という展覧会が開催されている。借りていた本を返却するために、さいたま市立中央図書館へ行った帰り道、この展覧会を覗いてみた。見ようと思ったのは岸田劉生の絵よりも木村荘八の絵だった。木村の絵は6年前に東京ステーションギャラリーで生誕120周年記念展があったときに見に行ったのだが、連れもいてゆっくりと鑑賞することができなかった。そのこともあり、この展覧会を覗いてみることにしたのである。
 入口を入るとすぐ右側に木村が素描画について書いた文のパネルが架けてあった。その最後の段落には、「思ふに「素描」は基づくところのもの認識如何であって、決して線を引張る方法ではない。認識次第で如何様にも引張れるものが線。その働きが(すなわ)ち素描 (…)」という言葉があった。それは木村の素描に対する考え方を端的に表した言葉であった。パネルの向かい側の壁に架けられた最初の絵。その絵は岸田が木村を描いた鉛筆画であった。岸田と木村は10代から友人であった。1917年作とあるので、木村が24歳のときの絵である。そこに描かれている横顔はエキゾティックな南欧の美青年のようで、独特の魅力があった。だが、この絵と展覧会に飾られている木村の絵とを結びつけて考えることは容易なことではなかった。ハイカラな知的青年と大正、昭和初期の東京の日常風景が描かれた絵との関係は連続的に捉えようと思っても、連続性はどこかで断絶している。そう私には思えたのだ。
 私が木村荘八の素描画と「歌妓支度」について書こうと思ったのは、この断絶性が気になったためである。確かにここに飾られている岸田劉生の絵も興味深いものである。掛け軸に描かれた墨絵、娘の麗子の何枚ものデッサンと水彩画などは初めて見るもので、岸田の多角的な創作世界を考察するための大きな資料となるものであった。しかし私は今述べたように、木村の絵と木村自身がモデルとなった絵との関係性に対して抱いた違和感は何かということをどうしても突き詰めたかったのである。それゆえここでは「木村荘八という画家」、「木村の素描画と東京」、「鏡の中の世界:「歌妓支度」について」という三つの点からの検討を行い、木村荘八の絵画空間の広がりという問題を探究していきたいと思う。
 

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『短歌で読むユング』山口拓夢著

ユング思想への新たなアプローチ  
日本におけるユング思想の受容には複数の系譜がある。「精神分析の大家」としての側面を日本での臨床に活かそうとした河合隼雄氏を代表とする研究者たち、コリン・ウィルソンが強調した「神秘思想家・オカルティストとしてのユング」からインスピレーションを得た数多くの作家・批評家たち、以上の2者を両極として、ユングの言説に影響された研究者・思想家・作家・芸術家は数多い。
 山口拓夢氏の著書も上記の「両極」の間にあって、「神話・伝説・物語的叡智、宗教的叡智、の探究者(伝承者)としてのユング」の姿を読者に伝えようとするものだ。
 「短歌で読む○○」シリーズはおそらく「短歌」部分が注目を集めているのだろうが、私は詩歌の素養がないため、「解説」部分にも大きな魅力があるという点についてまずは紹介させていただきたい。
第一の魅力は、ユング思想に興味を持つ者にとって、本書は「入門書の次」に読むにふさわしい情報量を持っているということである。『精神分析入門』『心理学入門』『ユング入門』と名乗る多くの書物は、紹介するユングの著作を2~3冊に絞り込み、簡略化・図式化し解説する点に特長がある。
たしかに、それら入門書はユング思想の概略をつかむには有益だが、「もう一歩踏み込んだ内容」を求める読者には物足りない。その点、『短歌で読むユング』で紹介されるユングの著書は16冊(!)を超え、概ねユングの執筆順に各著作のエッセンスが解説されており、ユング思想の深化・発展の軌跡を追体験できるという点で類書がない。コンパクトなサイズに学術的に濃厚な内容を凝縮しつつも、山口氏の語り口は奇をてらわず読みやすいものなので、入門書ばかりを読んできた読者は長年の渇きを癒されるにちがいない。入門書と専門書をつなぐ一冊として推薦したい。
 
想像力の美術館  
第二の魅力は、本書に掲載された大量の図版である。それら図版の中で、各年代のユングのポートレート(ユングの若い頃の顔は見ものである)、関係者の肖像(フロイトやアドラーを含む)、ユングの著作の各訳書の表紙(日本でのユング受容の歴史のドキュメントである)も興味深いのだが、それに加えて素晴らしいのは、ユングが研究・言及した様々なシンボル・イコンや、ユング思想の理解を助けるために引用されている絵画・図像の図版類が実に豊富で魅力的なのだ。これは凄い。
「内なるアニマ」を解説する箇所で引用されるディートリッヒの写真やセイヤー画「天使像」、「対立物の結合」の解説箇所で引用されるルーベンス画『聖母の被昇天』、ユングが生前は公開を禁じていた「自分の夢の記録」の中に登場する「サロメ」の解説のために引用されるピアズリー画のサロメ像、ユング自身による夢の読み解きに出てくるグノーシス教の生と死の神アブラクサス像(中世写本の挿絵から引用)、東洋西洋に関わらず人類に共通な集合的無意識から生ずる心の全体性の視覚的表現の例としてユング自身が著書に引用した患者の描いた様々なマンダラ、ユングの芸術論中のゲーテ作『ファウスト』に関する記述のところで掲載されているドラクロア画「ファウスト像」など、読者である我々は眺めているだけでもユング思想から文学・芸術へのイマジネーションが広がっていく。これらの図版の選択には、著者の山口氏と相談の上で編集者の方々の貢献が大きいそうだが、著者・編集者の学問・芸術に関する博覧強記ぶりには驚かされる。
圧巻はユングの錬金術研究を解説する箇所で引用される様々な図版である。ユング自身の錬金術への興味は、臨床における患者の「無意識と意識の統合 = より全体性をもった人格を育てるプロセス」を象徴するイメージが錬金術に関する資料に豊富に発見できたところから始まっているそうだ。本書は、ユングの臨床理論を解説するために、ユング自身が著書の中で引用した10個の図像を(明らかに大きなサイズで)引用している。「メルクリウスの泉→王と王女→裸の真実→浴槽の水に浸かること→結合→死→魂の上昇→浄化→魂の帰還→新たな誕生」と題された10個の図像の周囲には、ユング自身の引用の原典である『哲学者の薔薇園』という16世紀の書物の原文(ラテン語やドイツ語)が少し写り込んだ状態で引用されているのだが、引用元となった書物の元の所有者の書き込み(アンダーラインやマーク)が残されており、「どの時代の人がどんな環境でこの図像を見ながら、どのような想像を巡らせたのだろう…」と考えながら眺めることで我々の想像力も数百年の時を越え、「薔薇の名前」的なマニア心を刺激してやまない。
山口氏の前著『短歌で読む哲学史』も、イマジナティヴな図版の数々と痒いところに手が届くような親切な欄外注の魅力が際立っていたので、著者のこだわり・編集者の執念・田畑書店の本作りへの情熱が結びついた好企画・好シリーズなのだと思う。一人でも多くの人に、良書を手に取って頁をめくる喜びを味わってほしい。
 
「短歌で読む」必然性はあるか? 
最後に、私にとって印象深かった「短歌」を紹介して筆を置きたい。
 
「無意識に閉じ込められた願望が神経症や夢に吹き出す(フロイト)」
 「人間は劣等感を乗り越えて自分を磨き社会で輝け(アドラー)」
 「無意識と意識をうまく統合し深みに降りて自己に近づけ(ユング)」
 
 御存知のとおり、フロイトはユングにとっては精神分析の先達であり、一時期は師弟関係にありながらも、フロイトの「性的な欲動に焦点を置いた無意識解釈」についての意見が合わずに2人は決裂している。アドラーはユングより5歳年上であり、これまたフロイトの弟子であったが、フロイト的な「欲動理論」ではなく「自己実現の心理学」を追究するためにフロイトと決別している。
ここで、もう一度上記の3首を見比べてほしい。見事なのは、3首の短歌によってフロイト・アドラー・ユングたちの「無意識」理解の相違点が明快に示されているということだ。このように複数のアイデアの間に入り組んだ影響関係がある場合、山口氏は「短歌」部分において簡潔にして要を得た分析を実現している。したがって、山口氏にとっては、複雑な対象を分析・整理・要約するために「短歌」形式の力を借りる必然性があるのだと推測できる。
 本書を読んで、私個人にとってユングは「歳を取ってから肯ける」ところの多い思想家になった。
 
  「反発しときに手を取る無意識と統合すれば個性化に至る」
 「心とは自分を癒す手掛かりを探し求めてはたらいている」
 「人生が半ばを過ぎて感性が枯渇したときアニマを生かせ」
 「人格の深みからくる呼びかけが自我のひずみを夢で補う」
 「人生が袋小路を抜けるとき共時性かつ偶然が起こる」
 
 以上の5首などを声に出して読むと、抱えている不安や苦しみが複雑すぎて「どれからどのように対処してよいかわからない」状態で日々を生きている大人にとってこそ、「ユングの言おうとしていたことが伝わって来る」と感じる。何度読んでも、その度に味わいが深まる「人生の友」になりそうな一冊である。
(田畑書店 2019年4月25日発行 1500円) 

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グザヴィエ•ボーヴォア監督の映画「田園の守り人たち」を見る

 去る2019年5月2日に、私は試写でグザヴィエ・ボーヴォア監督のフランス•スイス合作映画「田園の守り人たち」を見た。第一次大戦中のフランス農村を舞台とするこの映画は、男性がいなくなったフランスの田園・農村の状況を描いている。100年前のフランスの農村での麦蒔き、麦刈り、脱穀、乳搾りなどの情景が展開される。これはまさに「動くミレー」であり、それだけでもこの映画を見る価値がある。
 この映画の原タイトルはLes gardiennes(「レ・ガルディアンヌ」)であり、「守る女たち」という意味である。つまりこのタイトルは、「田園の守り人たち」がまず第一に「女性たち」の行動を描いた映画であって、主役が女性であることを示している。次に、その女性たちが、田園を「守った」ということを示している。田園とは、陶淵明のいう田園であり、農業が行われている場、つまり農場・畑のことであが、それと同時に、あるいはそれ以上に、彼女たちが守ろうとしたのは「家族・家」にほかならない。 実際にこの映画では、舞台となる「家」のイメージが、その家が保有している農場のイメージとともに、極度に反復されているし、さまざまなかたちでの家族の絆が強調されている。その家族の中心に位置しているのが、ナタリー・バイが演じるこの大農家の寡婦オルタンスである。オルタンスの「存在感」の重さがひしひしと伝わってくるのは、この女優のすぐれた演技を引き出したボーヴォワ監督の力量である。
 しかし、「守る」というのは、敵対するものがあって、それに対して「守る」ということである。この映画におけるその「敵」とは、国家にほかならない。国家は、本来は国民を守るものであるが、戦争となると、それは「家族にとっての敵」という側面をあらわにする。ポーランド生まれのイギリスの社会学者ジクムンド・バウマンは、現代の国家・社会が「液状化」したと指摘した。戦争のときには、国家は個人を「戦力」とみなし、兵士として徴集する。国家は、個人・家族を守ってくれなくなるばかりか、その「敵」になる。この映画は、そのような意味での「敵」である「国家」に対して、自分の家族を守ろうとして行動した女性の物語である。
 オルタンスの長男は戦死、次男は戦場に赴いたが、戦後は帰還する。オルタンスの長女の夫はドイツ軍の捕虜になるが、彼も帰還する。オルタンスの「家族」は、崩壊寸前だったのである。彼女の使命は、そのようにして、国家によって崩壊されかかった「家族」を守ることにある。その意味では、この映画を「反戦映画」として見ることも可能であろう。しかしボーヴォア監督は、けっして声高には語らない。戦場の場面もごくわずかしかスクリーンに写されていない。監督は、見る者に密かに語りかけているように思われる。
 この映画のさらなる魅力は、オルタンスが雇った若い女性フランソワーズの存在と行動である。彼女は「田園の守り人たち」のひとりとして、農耕にも、牛たちの世話にも、きわめて有能である。雇われた身であるにもかかわらず、彼女は次第にオルタンスの家族の一員へと変化していく。そのプロセスは、きわめて演劇的・映画的であり、観客は彼女がどういう運命をたどって行くのかと、はらはらせずにはいられないであろう。ボーヴォア監督によるその紆余曲折の描き方は、並のものではない。(2019年5月8日)

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